10/4 RED@新国立劇場 小劇場

書いてませんでしたが9/25に1回行って、今日も行って計5回。今日は千秋楽でした。
52回という長い公演期間、ずっと「RED」という作品について考えました。
考えたけど、答えなんて出ない。しばらくはずっと心の中に居座るんだろうなあと思います。
この話が好きかと聞かれたら解らないし、でもずっと2人の言葉の雨に打たれていたい。
毎回毎回爆発するロスコとそれを受けるケン。何回見ても圧倒されました。圧倒っていう言葉以外に浮かびません。
ロスコやケンのように自らの気持ちを上手く説明する言葉が私にはなくて、何を言っても不足しているのですが、とにかく作り手の熱意がそのまま目の前で弾けるのが解って、すごくどきどきしました。いまでもしています。

初日に見た時、私は「ロスコを殺してしまったのはケンだ」と思いました。
実際のロスコの死因が自殺であることを知っていたからかもしれませんが、ケンという人の姿をしたブラックにロスコが飲み込まれてしまう話なんだとそう思いました。ケンはすごく残酷で純粋な子供なのだと思いました。
でも回を重ねるにつれて、どんどん形が変わっていって、まるで「RED」という舞台そのものがマーク・ロスコの絵画であるように感じるようになりました。
人間関係というのは変容していくものですが、ケンとロスコの2人もどんどん変容していったような。それはまるでロスコの絵のように一つ一つ色を塗り重ねてじわじわと変わっていったように思います。
今日のケンを見ても、もう私は彼を「残酷で純粋な子供」だと思いませんでした。ロスコも「時代に取り残された画家」だと思いませんでした。

結果として、今日のが一番舞台として作品として綺麗にまとまっていたんじゃないかなあと思います。
「そういうドラマを見る」というところに重きを置くと9/15・25の2人の応酬が花火みたいで眩しくてチカチカしていて好きなのですが、今日の2人はそのまままさしく体温のある人間としてそこに存在していました。すごく自然でした。
今まで見たどのロスコよりも一番喜怒哀楽がはっきりしていて、一番優しかった。優しかったからこそ、それを受けたケンもまた人間になった。すごく温かくて、今までは肩をつかむだけだったラストシーンも今日はケンを抱き寄せるようにしていました。最後だからかもしれません。その気持ちに呼応するかのようにケンが泣いてしまって、こちらも胸がじんとしました。

終わってしまって、整理がついていないのもあるのかもしれないのですが、今日のREDのかたちにすごく満足してしまって、今すごくすっきりしています。
見ている最中にもっと色々なことを考えていたはずなのですが……。なんだかちょっと、ぼーっとしています。
とにかく本当にお疲れ様でした。素晴らしく、また貴重な時間でした。この思い出を大切にしたいと思います。

旬くんについて。
ばかみたいな事を書くようですが、旬くんの姿を見る度に、どうして全く別の人になってしまえるのかなあ、と思います。
声色も、顔も、表情も、姿形も、全て別人で、なのに同じ人が演じている。
不思議すぎて、魔法みたいで、でも全て旬くんの内から発される光であることは間違っていなくて……。
身体は確かに同じ人間なのに全く別の霊がインストールされちゃってる、みたいな。
「計り知れない」という言葉で片付けてしまうとそれだけになってしまうのですが、見れば見る度別人になってる旬くんを、もっと見たい、と思うようになっています。
ああ言葉がまとまらない……。すごいなあっていつも思うんです。すごい。

頼むから「同世代のプロフェッショナル」みたいな特集でZEROで翔くんと対談してくれませんかねえ(苦笑)。
バラエティのトークは広がらないと思うけど、「仕事の話」「仕事に向ける熱量の話」ならすごくいろいろな話が出来そうな2人なんじゃないかなあ、と思ってます。勝手に。