アイドルの性質って表裏一体

「アイドル」を愛したいタイプの自分にとっては、「アイドルではない」ということを声高に言われてしまうともうそれだけでやるせないものだ。
そのうえ、いま猛威を奮っている映画・ドラマが自分の口に合わなかったときのことを考えるととてもじゃないけど容易に触れることが出来なかった。
何せ自分に自信がない。「人が好きなものを好き」と簡単に思っちゃう。自分がない。
いつか母親に「お前の好きなものはいつも誰か他人の影響でオリジナリティがないよね」と言われたことが心に深く影を落としていた。
たとえ映画が自分の口に合わなくても、4割程度楽しかったら「すっごい楽しかったよ!」というテンションに振り切るんだろう。自分がそうなった時のことを考えると、胃の底がずんと沈む気持ちになった。

テンションを無駄に上げるのは得意だ。でも最近上がりきったテンションを維持するのが難しくなってきた。感情に振り回されて、結局疲れてしまう。一人の部屋でぼんやり、「なんでああしちゃったんだろう」「どうしてこうしちゃったんだろう」と後悔が押し寄せて止まらない。将来のこと、未来のこと、ちゃんと考えないといけないのに、アイドルや俳優の眩しい光で自分自身の現実をごまかしている気分になって、もうどれだけ経っただろうか。

溜め息をついて、さっき閉じたばかりのTweetdeckを開いた。次から次へとツイートが流れていく。botか生身かはどうでもよかった。何か言葉が流動してさえくれればそれでいい。こうやって人は孤独になっていくんだなとぼんやり考える。
テレビでは音楽番組が流れていた。ああこの会場去年VBBで行ったところだな、あの時は本当にしんどかったけど、斗真見れてよかったな……とかなんとか、色んなことを思い出す。
次のアーティストが呼ばれる。さして興味のない事務所の興味のないグループだった。何人いるかも解らない。みんな顔が怖くて、いざ歌が始まってみるとボーカルは2人しかいなかった。そんな人数いるのに歌わないのかよ、という気持ちでテレビを眺め見る。
一人、カメラに向かってめちゃくちゃ挑発的な少年がいた。グループを組んでいる以上ある程度の年齢であることは想像がついたが、顔があまりにも童顔だった。色の浅黒いメンバーの中で、ひとりブルーベースの白い肌が照明に浮かび上がる。餅みたいだった。
その餅が、めちゃくちゃ踊る。青いグラサンを掛けた餅、ガシガシに踊る。挑発的に煽りながらガシガシ。
曲はEDMが過ぎてなにを伝えたいのかさっぱり解らなかったけど、なんかパリピっぽいっていうことは解った。

餅、名前を佐野玲於ちゃんと言った。「さのれおちゃんかわいくないですか」と呟いたら、四方八方は言い過ぎだけど、三方向から玲於ちゃんの画像が届いた。どれもワルガキという笑みを浮かべているか、もしくは純朴そうな少年の笑顔を浮かべている。キメた顔も画面越しに煽られているみたいでワクワクする。
れおちゃんはかっこよくてかわいくて、GENERATIONSっていうの? あーしらはまくんとメンディーさんがいるところだ、へー7人もいるんだ。Apple Musicで配信してるじゃん、聞いてみよ。

数日後私は映画館にいた。
なんかよく解らないテンションで、GENERATIONSのライビュのチケットを取ってしまったのだ。なんで取ったのかとかは解らない。ジェネ高で亜嵐ちゃんが野生の亜嵐を披露していたことに一番の衝撃を受けてライビュのチケットを取ったような気もしなくもないけど、今は遠い昔なので覚えていない(今週の日曜日の話です)。やたら紫のものを身につけていってピアスも紫だったとか、もう全然そんなこと覚えていない(今週の日曜日の話です)。
エンタメにとってのアイデンティティや指標になるものをまた曲げることになるんだろうなと思いながら、エントランスに飾られていたGENERATIONSの写真を撮ってインスタに上げた。

でも、まあ、始まるじゃん。
自分は心底ステージ上の男たちが好きなんだと思った。みんなで歌って踊ってくれたらなおかったけれど。
最初はボーカルとパフォーマーに分かれてるの、どうしたってボーカル偏重になってしまうのでないかと思ってたけど、ある程度はそんなことなかった。とくに私が好きになったかもしれない白濱くんはDJコーナーを設けていたりして、普段の活動範囲でそれをやられてしまうと7割位は地蔵になるのを知っている(かく言う自分も双眼鏡を構えてしまって動けない)ので、亜嵐くんがスクラッチパッドを気持ちよさそうに叩くのと実会場のテンションが一致しているのは文明の進化を感じた。

また、玲於ちゃんのアンコールでの挨拶に本当に胸を打たれた。
玲於ちゃんはダンスありきの人なんだという急ごしらえの知識のみで臨んだライビュだったけど、そんなふうに映ってしまうひとが、「最終的にグループに還元出来たら」と、ちょっとだけダンスから離れる仕事もするよとみんなの前で宣言したのが、あまりにも響きすぎた。
それでいいのか、と思う。思うけど、本人の顔はすごく晴れやかで、どうしても背中を押してしまいたくなってしまう。たいていの芸能人はステージと客席を切り離しているけど、玲於ちゃんだって最終的には切り離しているけど、「ファンのお陰で自分たちが今ここ(ステージ)に立たせてもらってる、みんなに連れてきてもらってる」と言った。有り体な言葉といえばその通りだが、こちらの気持ちに寄り添ってくれる発言にどうしようもなく感動してしまって、たった2時間見ただけなのにちょっと泣いた。

GENERATIONSはアイドルじゃない。特に亜嵐ちゃんも玲於ちゃんも『パフォーマー』だから、その姿は我々に見られるためにある。
我々は、ステージに立つ彼らを見て、色々なことを考えることが出来る。
かっこいい、かわいい、上手だ、キレッキレ、視覚的な情報から、疲れてきてるなとか、ファンアピール苦手なのかなとか、この振りでこの表情でなにを伝えたいのかな? とか。
どうしても、長年アイドルのオタクをやっているので、愛したいなあとか、崇めたい、信仰したい、そういう気持ちに駆られる。
でもそういうのは「偶像」であるアイドルの役割なんだろう。Twitterでさんざん若い子が「GENERATIONSはアイドルじゃないです」と呟いているのを見てきた。
じゃあパフォーマーにはどういう気持ちをぶつけたらいいのか?
そもそもステージは双方向性であるべきではないと思ってるし、なんかLDHめっちゃファンに手を差し伸べてくるのが解らなくて*1、線の引き方、気持ちの向け方に悩んでいる。
そうやって難しいこと考えずに楽しめよ! ということこそがラブドリームハピネスなんだと思うけど、オタクなのでどちらかというと考えたいし、GENERATIONSはとっても頭をつかうグループだと思う*2ので、どうしよう。

でもEXILE TRIBE MOBILEには入った。マイページではTシャツにボクサーパンツの亜嵐ちゃんが寒そうにしている。
ドームおめでとう。玲於ちゃんの言葉は何故か物凄くまっすぐ心に入ってくる。私は玲於ちゃんのことがものすごい好きなんだと思う。……亜嵐ちゃんの顔に抗えないだけで。翔くんと大倉くんとシゲアキの顔を正三角形に並べて、中心に亜嵐ちゃんを置くとめちゃくちゃしっくり来る。安心感がすごい。王子様顔のイケメンが大好き!

ドームは多分行く。もうちょっとセットの技術が上がればいいなと思う。

*1:フリスビーマンにおったまげマン

*2:頭を使わないグループは多分この世には存在しない