花咲く旅路

はい、シルバーウィーク期間中は毎日仕事です。宮城*1お留守番組です。笑
引っ越しをしたりしたのでレポもろくに追えてません!こうなったら映像化されるまで待とうかな、という気持ちですが……。

chapterII、断片的ですが、その報を聞けただけでも幸せです。
翔くんの蒔いた種が翔くんの道を彩ってるんだなあ。その道の先を目指してその道を進んでいく翔くん。
言葉にならない。素敵です。
そんな言葉をファンにラップで届けてくれる翔くんが大好きだなぁと思いました。

ここ東京の中心からちょっとズレたところから、成功を、無事の帰還をお祈りしております。

*1:ところで3Dフライングでラップ出来なくなってる翔くん想像しただけでめちゃくちゃかわいいしもっとフライングの装置揺らしたいって思いますね。潤くん危なくないくらいに揺らして!笑翔くんが怯えている時の顔が本当に好きです。うふふふふ

9/15 RED@新国立劇場小劇場

RED 9/15 19:00の公演に行ってきました。3回目です。

結論から言って、今日はロスコもケンもものすごく荒々しかったです。
荒々しかったと一言で片付けてしまいましたが、乱暴だとか投げやりだったとかそういう訳ではなく、すごく力が入っていたという意味です。
初日はむしろ繊細な演技で、その繊細さが緊張感となって客席にまで伝わってくる感じ。今日は感情をそのまま爆発させてこっちにぶつけてきているような、そんなお芝居だったように思えました。
なにより、ケンの生い立ちを語るシーンで今日は涙がぽろりと零れ落ちていたような。もしかしたら汗なのかもしれないのですが、見ている角度で涙のように見えました。
ロスコにしても、外で絵を描くことがいやというシーンで「あれだ」と(たぶん)台本にないように言ったり。
基本的に話の起点と終点が合っていれば辻褄が合うような脚本なので、話の流れと大きく逸れているわけではないのですが、どのシーンもすごく激しかった。
昨日が休演日だったからなのかもしれないですね。荒削りな感情がむき出しでこちらにやってきたので、初日に思った「ケンがロスコを死に追いやったのかもしれない」という気持ちにさせられました。2人とも子供のようでした。
良かったか悪かったかじゃなくて、「びっくりした」。今はそんな気持ちです。

ふと、今日のケンを見ていて、BORDERの石川安吾を思い起こしました。
石川くんも純粋に犯人逮捕・捜査に身を窶し最終的に悪に堕ちましたが、今日のケンはすごく「純粋だった」。
同行の友人は今日のケンを見て「邪悪だった」と言っていました。
幼さや若さはそれだけで鋭利なナイフを思わせる瞬間がありますが、今日のケンはまさにそれでした。
純粋で、とても綺麗で、だからこそロスコの心に響いて彼をレストランに向かわせた。
自分が殺してしまったのにも関わらず、なおロスコを師として父として仰ぎ、そのロスコから「お前の居場所が外だからだ」と言い放たれたケンの表情が、家の帰り方を見失ってしまった子供のようでした。
先述の生い立ちのシーンもですが、旬くんの、ケンの目に宿ったひかりが、その白がすごく残酷な子供の色をしていました。

今日はそんなことを思いました。お酒の抜け切らない頭でばーっとこれを15分くらいで書きましたが、勢いのまま残しておきます。
あ、今日は吉田鋼太郎さんと山田親太朗くんが観劇されてました。わーって思ってたらあずみを見に来ていた横山裕さんを見かけました。ゆうちんめっちゃ白くて唇赤くてあの人去年の東京ドームで生首っていじられてたのか…とかちょっとにわかには信じがたい…。きれいでした。

9/5 RED@新国立劇場小劇場

RED 9/5 15:00の公演に行ってきました。2回目です。
始まってそろそろ2週間が経ちますので、内容についても触れています。

初日から2週間経つので、そりゃ当たり前なんですけども、2人とも「ロスコ」と「ケン」になっていました。抑揚がついた、と言えばいいのかもしれませんが、骨に肉がついたような、そんな印象を受けました。
一幕目のケンはロスコを少し恐れているかのような、畏怖の感情がより強調されていて、だからこそ二幕目の時間経過が解りやすくなっていたと感じます。
「何が欲しい」と絵に語りかけるロスコに対して「レッド」と答えてしまうケンの姿が、なんというかその発言に至るまでロスコと一緒に過ごしてきたからこその発言というのがより把握しやすいというか。
三幕のアポロン的要素・デュオニソス的要素の話も同じで、哲学の話を嬉々としてするケンはまるでロスコのミームの伝承者でした。目の輝きが幼くてすごく綺麗。席が近かったせいもあるのでしょうが、より爛々としていたように見えました。
ライブペインティングのシーンもより個性が強調されていたし、四幕目のケンの切れ味もより鋭くなっていました。幼さが増した分、残酷さも増したように思います。ブチ切れたケンを受けて、ロスコの身体が傾いでいたのもまた切なかったです。あのシーンだけは、田中さんが小さく見えました。
そうした具合により抑揚がついているので、最後の別れがより静かで切ないものに感じられました。

舞台じゃないところについて。
花は当然のことながら大体かたされていました。これから中日を迎えてまた増えるのかな?彩りが少なくなってて、釣瓶さんととんねるずから来ていたお花についてやっと造花だったのかと気付いた次第です。
演劇をあまり見る方ではないのですが、やっぱりマチネ(マチネという時間でもないですけど……)の方が笑いが起きたりしやすいんですかね。こないだよりも笑いが起こってた気がします。
まあ、初日は観客もピリピリしてるものでしょうしね*1
勝地涼くんが見にいらしてて、私の席は勝地くんのいっこ後ろの列*2だったのですがとてもかっこ良かったです。えれぇカッコ良かったでやんすよ!(声を大)
笑い声の起きたシーン、勝地くんの笑い声がめっちゃ聞こえてきました。それもちょっと面白かったです。

……この舞台、感想を書くのがすごく難しいなあ、と思います。とりわけストーリーについて、私はすごくこの話が好きなんですが、理由付けがしにくいのです。言葉が足りないというのもあると思うのですが。
2人のやり取りはすごく難解な部分もあります。でも扱っているテーマは割りと普遍的なものだと思います。
次見る時までに、その辺ももう少しだけ整理出来るといいなあ。

*1:少なくとも私は緊張してずっとベンチで「吐く~もうダメ~吐く~~」て言ってました

*2:ぱっとみると横顔が視界にドーンしてくるくらいの位置

「愛を叫べ」に愛を叫んでみた

先日ののMステ2時間SP皆様ご覧になられたかと思うのですがいかがでした? めちゃくちゃなまでの可愛さ、乱暴なまでの可愛さはむしろ暴風雨のようでありました。口に出して言いましょう、戸惑うほど切実な祈るような恋、そして深い愛しさが嵐なのだと……はあなんだアレめっちゃ可愛い自Gと自担が可愛くて私幸せ……とカレースプーン持ったまま(晩ご飯がカレーでした)頭抱えてました。
翔くんについては、いつぞやのビタスイのように間違えてしまっていたのできっと次のお披露目の時はハイパーカッコよくなってると思います。翔くんのそのマイナススタートのがきらめく、みたいなところが好きです。世界の遍く事象櫻井翔という人間中心に考えているタイプのオタクなので、果たしてマイナスだったのかどうなのか私には認識出来ませんが。

Mステ見終わった後に、本アカの方でこんなツイートを致しました。

愛を叫べめっちゃ響きまくっててこの曲大好きだし、でも元担からの担降り応援ソングにも聞こえるんだよね

歌詞を見ていて、ふと翔くんの単独インタの載った日経エンタテインメント2013年7月号を思い出しました。
破戒的な教師の吉本を演じてファンが離れていったらどうするの、という質問に対して翔くんはこう答えています。

「正直自分としては、今までにない顔を見てもらえることが最大の喜びでした。周りには、『ドラマの世界だから』ということで理解してもらっている部分が多い作品だと思ってるので、感謝しています。仮にこういう顔を見たことで僕から離れていってしまう人がいたとしたら、僕の中では成功です。作品の力を借りてそんなところまで人の心を持っていけたということだから。離れていく人には、二の腕が取れるくらい大きく手を振ってお見送りしたいですね(笑)。
だって、せっかく自分と違う人間を演じられるのなら、安全な歩道ばっか歩いててもしょうがないじゃないですか。とはいっても、僕が吉本みたいな役をやらせてくれとは言える立場ではないので(笑)、このドラマに関しては、話を引き受けた事務所スタッフの勇気だと思います。」

色んな方がこの発言について言及しておりましたが、私もこれは単に翔くんと吉本荒野だけではなく嵐とファンの関係性についてさらっと言っているんじゃないかと思いました。
2007年の「Love so sweet」の爆発的ヒットを受けて、翌年2008年には国立での公演にドームツアーとアイドル街道を一気に駆け抜けていく中で、嵐としての形も随分変わったんじゃないでしょうか。
例えば震災復興におけるの日本誘致のイメージキャラクターに選ばれたり、何年間も嵐JETが飛び続けていたり……。もちろんその間も新規のファンは何万人何十万人と増えました。けれど、同じだけとは言いませんけれども、担降り・オタ卒をするファンも今まで以上に増えていたんだと思います。
そういった流れを受けての発言だと認識すると、すごく冷たい発言のように感じるのですが、なんせ吉本モードで翔くん自身も立ち振る舞い方もあやふやになっていた時期(だと認識している)のでこういう形にしかならなかったんだと思います。

時は流れて2014年のDIGITALIANのオーラスにて、潤くんがこんな発言をしました。

みなさんも、ここにいない人もそうだけど、どっかのタイミングで僕らと縁をもってくれて今こうやって同じ時間を過ごしてるってのは本当に嬉しく思います。

この発言、時を越えた潤くんによる翔くんのフォローなのかなあと勝手に思ってます(そんな発言したの知らないだろうし知っていたとしても忘れてると思いますけど)。会場でこの言葉を聞いた時、「わあああ潤くん」ってなってより泣けました。
たぶんハワイかなんかでもこんな発言を誰かがしていたような気がするんですが、つまり手元を離れてしまったファン、嵐を通り過ぎて行ってしまったファンにまで言葉を掛けてくれる嵐ってアフターケアも万全かよ、というか、「キミの夢を見ていた」からのこの流れですよ。

忘れないから 君の声は 聞こえているよ
変わりゆく空 見上げた僕に優しく響いている

「キミの夢を見ていた」は、嵐からファンへのメッセージソングと捉えるのがスタンダードだと思っているのですが、この嵐はもっと大きな視点から歌われているような……言うなれば神的な目線というか、(もともと違いますけど)もっとラブソングを歌い歌われる対象というステージの一段上に行ってしまったんだなあとその時は思ったのですが。

「愛を叫べ」は、ウェディングソングです。「俺」が結婚してしまう昔からの女友達(もしかしたら恋心を抱いていたかもしれないくらい、大事な)に向けて歌った曲です。
……別に、嵐にアイドル扱いされたいとか、マドンナだとか、そういう訳ではありません。アイドルとファンが愛し合ってる関係だなんて言いません。我々の関係は金銭をベースにしたものです。それだけじゃないって考えたいですけど、でもそういう側面も確実にあります。かなしいですが。ただ、上記のような彼らの発言からの流れで、私にはどうにも「嵐を通り過ぎていったファンへのメッセージソング」「嵐を離れていくファンに向けて嵐が笑顔で手を振っている歌」のように思えてならないのです。

それか、もしくは「嵐による嵐担卒業ソング」。こんな事言ってますけど、突き放してる気持ちになったとかそういう事じゃないんです。
ファンの気持ち、嵐の形、お互い生き物だっていうのは同じなので、それらは変容していくものなのだと。俺たちも変わっていくから、それを受け入れようよ、と諭してくれているような……。「いつか笑ってまた再会そう絶対」と地続きの世界で、愛を叫んだらこういう風な形だったのかな、とそういう気分になりました。

そういった神に近い視点に行ってしまった、いわば既存のアイドルのステージから別の段階に進んでしまった嵐が、それでも

ちっぽけな愛じゃ足りないのさ もっとあげるから
この世界中のLady! Give me more your love

と歌うのが愛しすぎて愛しすぎて仕方がない(だって「more and more」の歌詞が貪欲すぎて何度も惚れなおしてしまうレベル)ので、私はこの5人から離れられないんだと思いますけどね。笑
多分去年自分が担降りについて悩みに悩んだ結果降りなかったから余計こういう感情に振れやすいだけなのかもしれないです。
ただ、嵐は離れていくファンについて笑顔で手を振っているけれど、「これは別れではない」と言っているんだと、自分がそう認識したいのだと思います。しばらくは降りたり離れたり致しませんけどもね~……笑
とにかくそんな事を思いました。

ところで。
今回の更新ですがおかげ様で100回目の更新となりました。
2013年の11月に始めてからもうそろそろ3年目、自分でもこんなに長く続けることが出来るとは思っていませんでした。
閲覧して下さる皆様、またスターを付けて下さる皆様、本当にありがとうございます。
ひっそりとTwitterなんかもやっておりますので(@butterhotcake)、もしよろしければお話して下さると幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

8/21 RED@新国立劇場小劇場

※例に漏れずジャニーズ関係ない話題です。

旬くんと、そして田中哲司さんが出演する舞台「RED」の初日を観劇してきました。

マーク・ロスコシーグラム壁画を主題とした作品で、事前学習として千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館に行ったり*1しました。
もともと名前と壁画群については知っていたのですが、やっぱり生で見るとぜんぜん違う。ロスコは絵画とそれの存在する空間・絵画を取り巻く環境全てが整ってそれでやっと作品が完成されるという主張の持ち主で、川村記念美術館もロスコの主張が生かされた「ロスコ・ルーム」なる小部屋に展示されています。
乱暴にまとめると「自身の絵にこだわりを持ちすぎて時代に遺されてしまった(と感じてしまった)画家」なのですが、それがどうお芝居になるのか、どういうラストになるのかイメージが湧かず、だからこそロスコとロスコの生きた時代を多少勉強してから行ったのですが……。

もう、すっごいよかった。旬くんはもちろんかっこいいのですが(もうめちゃくちゃカッコ良かった!ちょっと痩せて、髪も切ってる)、田中さん演じるロスコが本当にマーク・ロスコだった。
……血迷った表現をしていますが、語彙があまりないので、こういう表現しか出来ないのです。ロスコの考え、情熱、哲学、それはもしかしなくてもジョン・ローガンのフィクションでしか無いのですが、ロスコが実際に存在した人間である以上ある程度のドキュメンタリー性は兼ね備えている訳で、彼の感じた現代美術への危機感や取り残されることへの焦り、「ブラック」に飲み込まれてしまう恐怖がびしびし伝わってきて、フィクションのはずのお芝居なのにそこにあるのは現実としか思えないフィクションで……。
旬くん演じるケンがいるからこそ成り立つ舞台ではあるのですが、実際に存在しない人間が実際に存在した人間に現実を突き付ける図、というのもなかなか不思議な気持ちになりました。
だからこそケンは残酷で、なんというか……。まだ見てきたばっかりで整理しきれてない所はあるんですが、ケンという名の「ブラック」(ロスコには彼がきっとブラックに見えていたと思う、無意識の中で)に飲み込まれていくロスコの「レッド」が、すごく哀しくて、でも自らのレッドを誰にも理解されなくても抱き続けるロスコはすごく潔よかったと思います。

うーん、現実とフィクションの差が曖昧になっていますね。
その境界すら塗料で塗られていって解らなくなってしまうような、そんな舞台だと初回を見て感じました。
運の良いことにあと数回行くので、何回か反芻したいと思います。初日おめでとうございます。無事の成功をお祈りしております。

続きに心にきゅっと来たところ。多分ちょっとネタバレとあと目情。笑

*1:行ったのは旬くんの「遠足」の4日くらい前……

続きを読む

6/28 嵐のワクワク学校 2部@東京ドーム

★ 今後の自分に向けた供養(力尽きた)。おいおい追加していきます。もう2ヶ月も前…か…
27日の公演28日1部に引き続き、雑な覚書と感想。
翔くんゴト多め。

続きを読む

3月20日から150日が経った

2日遅れになりましたが、DVD広報アカウント様お疲れ様でした。
これで、ドラマ・ウロボロスにまつわる全ての広報活動が終わってしまいました。
さびしいなあ、と思うんですけど、お盆も終わるしイクオとタッちゃんを結子先生のところに返してあげないといけないのかもしれません。

この150日の間毎日ウロボロスの事を考えて生活しています。
もちろん原作全部買って読みました。その上で手元にあるだけのウロボロスについてのインタビューを読んだりして、思いを馳せたり。「毎週金曜日22時はウロボロス」と呟きながら、毎週金曜日に1話づつ、最終回まで、を3周したりしておりました。
どうしてこんな風になっちゃったの、って友人によく聞かれるんですが、自分でもまだうまく説明出来なかったりします。

まず、そもそも斗真が原作読んで旬くんに「これ面白いよ」って進めたところから始まっていて、それがやっと実になって。
そういうベースを知っているからこそ、2人の仲の良さを(始まった頃は知識だけでしたが)認識していたからこそ2人の本気がバシバシ伝わってきて、その本気を後押しするようにスタッフさんがこれまたかっこいい映像にパッケージングして……。
プロデューサーの佐野さんのツイートの一つ一つにも愛を感じて、流れてくる度にふぁぼってスクショして。

「この愛こそ、正義」というサブタイトルですが、イクオとタッちゃんの愛も、ドラマスタッフの方々も愛も、どれも本当に真っ直ぐなもので、ぴったりなサブタイトルだなあって思います。

もうずっとこんな感じで、BUMP OF CHICKENの「ray」なんか聞くとウロボロスファンとしての自分の心情にぴったりでまた泣けてきてしまったりで。

ちゃんと書こうと思ったのに全然だめでした。
でも、とりあえず、間近に迫った8月21日のために、自分の気持ちも一回整理しておきたかったんです。
それだけです。いつも以上にとっちらかってる。