この道の先に夢の続きがあるから

10月31日に行われた、V6 LIVE TOUR 2015 SINCE 1995~FOREVERに参加してきました。

いつものように語彙の無い感想を言うと「サイコーだった!」。
どこからどう切り取っても良さしかない。みんな本当にかっこよすぎ。子供の頃からカッコ良かった人たちが20年経ってもカッコいいのってすごいなあ、と思いました。カッコよく居続けることがどれほど大変なことかいちファンである私には計り知れない事ですが、そういう「ありがたみ」を感じられるような、そんなコンサートでした。

何度か書いているかもしれないのですが、V6については本当に長いこと「岡田くんの」お茶の間ファンで岡田くんの事を好きになったのがいつか思い出せないくらいの感じです。私の世代(アラサー)だと、岡田くんに限らずV6のメンバー全員にそういうハマり方をしている人が多いと思います。「ジャニオタとしての原点」とでも言えばいいのでしょうか。とにかく自分にとってV6というグループはそういう位置付けです。

こないだも似たようなこと書きましたけど、例えば父親に教えてもらいながらテープに「太陽のあたる場所」をダビングした思い出とか、夕暮れの川沿いでひゅんひゅん飛ぶコウモリ見ながら「Believe Your Smile」を聞いたこととか、クラスの合唱曲の候補に「over」が上がったこととか、いざ「CHANGE THE WORLD」を聞くと剣戟の音が聞こえないのに違和感感じたりとか。笑
予習なんか今更しなくたって身体に染み付いているのですが、昔の曲を聴いていると当時の事を思い出したりして……。
そういうようなところから楽しいコンサートが楽しくない訳がないんですよねえ。楽しかった。ほんとうに楽しかった。

コンサート本編中の思い出。

  • 「太陽のあたる場所」で泣いた(私が)

元々大好きで、坂本くんのラップが聞けるって噂を耳にしてドキドキだったのですが。もちろんそこもすごく嬉しくてかっこよかったんですけど、カミセンが肩くんで笑顔でラップしてるのを見て、嗚咽が……(周りにいた方本当にごめんなさい)。
「いつもはだしのまま走り続けた」剛くん、「早く大人になりたいと夢見てた」健ちゃん。新俺たちの旅で、狭い部屋で扇風機の奪い合いしてる姿が笑ってる今の姿にオーバーラップ。岡田くんの口から「どんな時もひとりきりじゃない」って。お茶の間だったかもしれないけど、岡田くんばっかり見続けてた自分としては、なんというか。ううううう、と声が出てしまいました。だって笑顔で実証してる姿を今まさに見てる。ごちゃごちゃしてるんですけど上手く説明できない……。最近流行りの言い方だと「尊い」って言うんですかねえ、うれしかったし、ありがとうって何度も何度も言いたくなりました。

  • 健ちゃんのダンスが好きってことに気付いた

岡田くんの「巻き込まれたら死を覚悟」なパワー系のダンスも好きなんですけど、それ以上に健ちゃんのしなやかなのに眼力超強いダンスが好きだなと思いました。自分的には超発見だったり。手の先まで演出してる感じ、すっごいかっこよかった。今までのDVD見返したくなりました。

いろいろあったはずなのに仕事のおかげで(1時就寝5時起き)ね、ねむい。頭回ってないので覚書というかパッションの赴くままに残しておくことにします。日本語が変。

この胸の深い場所で微笑む人

「大倉担」と名乗るのを辞めました。

きっかけはすごくすごくネガティブなことになるので書きません。と言ってもTwitterのアカウントでボロボロ書いてはいたのですが、ここには書きません。
ここのところは、リサイタルにも行けず*1、特番も見ず、クロニクルは大抵仕事で見られないしジャムも気になった時だけ見る、というような、去年の自分は一体何だったんだと思うような触れ方をしていました。

先日イフオアに一緒に行った村上担の友人が長期出張から帰ってきて、人生初のたこ焼きパーティをしながら関ジャニズムを見ました。

大倉くん超かっこよくないですか?(真顔)
いやいやニズムは4回行きました。行って毎回毎回大倉くんかっこいいって思いましたけど、映像化になってるオーラスだって行ってるのにいやいやいやいや大倉くん超かっこいい。アダイヴのよこくら超かっこいい。チーズ投げる困った末っ子かわいい。馬鹿笑いする大倉くん超かわいい……。
最終的に澄み渡る梅酒を抱きかかえながら大倉くん好き好き言っておりました。

どうも自分にとっては「大倉担」の看板は重かったようで、しかしいざ外してみると肩の荷が降りたみたいに大倉くんに嘘みたいにときめいてる自分がおりまして、ああそしたらこれ担当って名乗らないでも好きは好きでいいんじゃないかなあと、今にして感じている次第であります。

「担当とは」という事なんていろいろな人が話題にしていて、もうそれを取り上げることすら世の中全体で食傷気味であると思ってはいるのですが、どうやら自分の中では既に決まりきった担当観というものがあるらしく、そこに大倉くんが合致しないといったらただそれだけなんですけれども。

でも、なんというか、こういう好きの形もあるんだなぁと気付けて良かったです。どうしてもジャニオタでいると「担当」という言葉を掲げたくなるんですが、それはあくまでジャニオタ界隈の中での話ってだけで世間一般的に見たら、その対象のことを好きであるならばそれはまとめて「ファン」なんですよねえ。不思議な言葉ですね、「担当」って。

勝手にすっきりしたエントリでなんとも独りよがりなのですが、今までだって散々ああでもないこうでもないを繰り返してるのできっとこれからも繰り返すんだろうなあ。
今はそれが少し楽しみでもあります。これからどうなるんだろう~。

*1:そもそも落ちたしあきらめて初台に通うことにしたので……

恋をするのに最良の日

すごかった。

当人がかっこいいことなんてファンになる前から知っているし、実はかわいらしい一面があることだってもちろん知っている。
昨日までは小さな劇場で画家の助手をしていた。最後、相手役の方に抱き寄せられて泣いてしまうような、そんな瞬間だって見た。
なんて素敵な役者なんだろうと思った。

今日は全身スーツだった。当たり前だ。完成披露試写会だ。
出て来た時からかっこ良かった。当たり前だ。ただでさえスタイルのいい彼がきちんとしたスーツに身を包んでいる。かっこ良くないわけがない。
登壇者の言葉に耳を傾け、はにかむように笑い、何か問われたら少し思案し、ちゃんとした言葉で答えていた。
たまに、足を捻ったり足踏みをしたりどこか遠くを見たり、その様子だって愛しかった。
監督曰く宇宙一「間がいい」らしい。昨日までの舞台を思い出した。画家の言葉を受けて発されるセリフは、全て彼の中の正しいタイミングに基づいていた。人の言葉や表情、動きを見てすごく正確に芝居をするのだと昨日見ながら思った。もしかしたらそれは映画の役柄の上での話で、彼本人の話ではないのかもしれない。実際すごく間がいいキャラクターだった。でも、この評価は彼にふさわしいと思った。

彼の番は終わり、監督が登壇者ひとりひとりを評価していく。
ふと彼は舞台の奥のほうへふらふらと歩いた。2・3歩だ。上を向いた。どうしたのかと思った。双眼鏡を握る力に少しだけ力が入る。

彼はくしゃみをした。「くしゅん」。文字で表すならこうだ。他の登壇者が話しているのにもかかわらず、彼はくしゃみをした。

かわいかった。
すごくかわいかった。
かわいすぎて鳥肌が立って口から訳の分からない言葉にもなっていない声が漏れて、一気に全身の体温が上がるのを感じた。血が沸騰するとはああいうことを言うのかもしれない。
涙は零さなかったが、私は確かに泣いていた。涙の存在を瞳の端に感じていた。

そんなことってあるのか。だって彼はアイドルじゃなくて、俳優で、既婚者で子供だっている。昨日彼の配偶者が客席で涙を流していてむしろそれにグッときていたところもあった。夫婦仲が良くてすごく良いなあと思った。

のに、そんな、そんな、いや、まさか、そんな人が、文字に起こすと「くしゅん」なんてくしゃみ、するか。いや、したんだけど。かわいらしすぎやしないか。役柄によってあんなに低い声であんなにかっこよくなるかっこいい人が、そんな、えっ。

心の中に浮き上がってくる様々な感情を頑張って処理しているうちにフォトセッションに移った。一度ハケてまた戻ってくる。こちらに背を向けている。すごく残念だった。
でも、空から金と銀の紙吹雪が降ってきた。暗い空間を宇宙に見立てた粋な演出だった。流星群のようだった。その中で彼が笑っている。なんて素晴らしいんだと思った。

そう思っていたら今度は星が降ってきた。
大小様々な星が流星群のように宙を舞い降りてくる。
幻想的過ぎた。
その中で、やっぱり彼は、カメラに向かって笑っていた。

星が降る中で好きな人が笑ってるなんて現実ではありえない風景を見てしまった。
ときめくなと言う方がおかしい。
想像してみて欲しい。少女マンガでだって今日日ありえない、比喩表現にしたってファンタジーが過ぎやしないだろうか。
ものすごくメルヘンで、現実味が無い。でも私も彼もそこに確実に存在している。
今、この瞬間、彼の顔が見えなくてよかったとすら思った。他の登壇者越しに、彼の手元に降ってきた星が見えた。
なんて光景だと思った。あり得なさすぎた。
アイドルのコンサートでだってあんまり見ない。銀テや紙吹雪があっても星はなかなか降ってこない。
でもここはコンサート会場じゃない。彼は俳優でアイドルじゃない。家庭を持つ、一人の働く男だ。
混乱した。混乱した、けど、でも、ときめくなと言う方が、おかしくはないだろうか。

すごいものを見た。
本当に、すごかった。

10/4 RED@新国立劇場 小劇場

書いてませんでしたが9/25に1回行って、今日も行って計5回。今日は千秋楽でした。
52回という長い公演期間、ずっと「RED」という作品について考えました。
考えたけど、答えなんて出ない。しばらくはずっと心の中に居座るんだろうなあと思います。
この話が好きかと聞かれたら解らないし、でもずっと2人の言葉の雨に打たれていたい。
毎回毎回爆発するロスコとそれを受けるケン。何回見ても圧倒されました。圧倒っていう言葉以外に浮かびません。
ロスコやケンのように自らの気持ちを上手く説明する言葉が私にはなくて、何を言っても不足しているのですが、とにかく作り手の熱意がそのまま目の前で弾けるのが解って、すごくどきどきしました。いまでもしています。

初日に見た時、私は「ロスコを殺してしまったのはケンだ」と思いました。
実際のロスコの死因が自殺であることを知っていたからかもしれませんが、ケンという人の姿をしたブラックにロスコが飲み込まれてしまう話なんだとそう思いました。ケンはすごく残酷で純粋な子供なのだと思いました。
でも回を重ねるにつれて、どんどん形が変わっていって、まるで「RED」という舞台そのものがマーク・ロスコの絵画であるように感じるようになりました。
人間関係というのは変容していくものですが、ケンとロスコの2人もどんどん変容していったような。それはまるでロスコの絵のように一つ一つ色を塗り重ねてじわじわと変わっていったように思います。
今日のケンを見ても、もう私は彼を「残酷で純粋な子供」だと思いませんでした。ロスコも「時代に取り残された画家」だと思いませんでした。

結果として、今日のが一番舞台として作品として綺麗にまとまっていたんじゃないかなあと思います。
「そういうドラマを見る」というところに重きを置くと9/15・25の2人の応酬が花火みたいで眩しくてチカチカしていて好きなのですが、今日の2人はそのまままさしく体温のある人間としてそこに存在していました。すごく自然でした。
今まで見たどのロスコよりも一番喜怒哀楽がはっきりしていて、一番優しかった。優しかったからこそ、それを受けたケンもまた人間になった。すごく温かくて、今までは肩をつかむだけだったラストシーンも今日はケンを抱き寄せるようにしていました。最後だからかもしれません。その気持ちに呼応するかのようにケンが泣いてしまって、こちらも胸がじんとしました。

終わってしまって、整理がついていないのもあるのかもしれないのですが、今日のREDのかたちにすごく満足してしまって、今すごくすっきりしています。
見ている最中にもっと色々なことを考えていたはずなのですが……。なんだかちょっと、ぼーっとしています。
とにかく本当にお疲れ様でした。素晴らしく、また貴重な時間でした。この思い出を大切にしたいと思います。

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花咲く旅路

はい、シルバーウィーク期間中は毎日仕事です。宮城*1お留守番組です。笑
引っ越しをしたりしたのでレポもろくに追えてません!こうなったら映像化されるまで待とうかな、という気持ちですが……。

chapterII、断片的ですが、その報を聞けただけでも幸せです。
翔くんの蒔いた種が翔くんの道を彩ってるんだなあ。その道の先を目指してその道を進んでいく翔くん。
言葉にならない。素敵です。
そんな言葉をファンにラップで届けてくれる翔くんが大好きだなぁと思いました。

ここ東京の中心からちょっとズレたところから、成功を、無事の帰還をお祈りしております。

*1:ところで3Dフライングでラップ出来なくなってる翔くん想像しただけでめちゃくちゃかわいいしもっとフライングの装置揺らしたいって思いますね。潤くん危なくないくらいに揺らして!笑翔くんが怯えている時の顔が本当に好きです。うふふふふ

9/15 RED@新国立劇場小劇場

RED 9/15 19:00の公演に行ってきました。3回目です。

結論から言って、今日はロスコもケンもものすごく荒々しかったです。
荒々しかったと一言で片付けてしまいましたが、乱暴だとか投げやりだったとかそういう訳ではなく、すごく力が入っていたという意味です。
初日はむしろ繊細な演技で、その繊細さが緊張感となって客席にまで伝わってくる感じ。今日は感情をそのまま爆発させてこっちにぶつけてきているような、そんなお芝居だったように思えました。
なにより、ケンの生い立ちを語るシーンで今日は涙がぽろりと零れ落ちていたような。もしかしたら汗なのかもしれないのですが、見ている角度で涙のように見えました。
ロスコにしても、外で絵を描くことがいやというシーンで「あれだ」と(たぶん)台本にないように言ったり。
基本的に話の起点と終点が合っていれば辻褄が合うような脚本なので、話の流れと大きく逸れているわけではないのですが、どのシーンもすごく激しかった。
昨日が休演日だったからなのかもしれないですね。荒削りな感情がむき出しでこちらにやってきたので、初日に思った「ケンがロスコを死に追いやったのかもしれない」という気持ちにさせられました。2人とも子供のようでした。
良かったか悪かったかじゃなくて、「びっくりした」。今はそんな気持ちです。

ふと、今日のケンを見ていて、BORDERの石川安吾を思い起こしました。
石川くんも純粋に犯人逮捕・捜査に身を窶し最終的に悪に堕ちましたが、今日のケンはすごく「純粋だった」。
同行の友人は今日のケンを見て「邪悪だった」と言っていました。
幼さや若さはそれだけで鋭利なナイフを思わせる瞬間がありますが、今日のケンはまさにそれでした。
純粋で、とても綺麗で、だからこそロスコの心に響いて彼をレストランに向かわせた。
自分が殺してしまったのにも関わらず、なおロスコを師として父として仰ぎ、そのロスコから「お前の居場所が外だからだ」と言い放たれたケンの表情が、家の帰り方を見失ってしまった子供のようでした。
先述の生い立ちのシーンもですが、旬くんの、ケンの目に宿ったひかりが、その白がすごく残酷な子供の色をしていました。

今日はそんなことを思いました。お酒の抜け切らない頭でばーっとこれを15分くらいで書きましたが、勢いのまま残しておきます。
あ、今日は吉田鋼太郎さんと山田親太朗くんが観劇されてました。わーって思ってたらあずみを見に来ていた横山裕さんを見かけました。ゆうちんめっちゃ白くて唇赤くてあの人去年の東京ドームで生首っていじられてたのか…とかちょっとにわかには信じがたい…。きれいでした。

9/5 RED@新国立劇場小劇場

RED 9/5 15:00の公演に行ってきました。2回目です。
始まってそろそろ2週間が経ちますので、内容についても触れています。

初日から2週間経つので、そりゃ当たり前なんですけども、2人とも「ロスコ」と「ケン」になっていました。抑揚がついた、と言えばいいのかもしれませんが、骨に肉がついたような、そんな印象を受けました。
一幕目のケンはロスコを少し恐れているかのような、畏怖の感情がより強調されていて、だからこそ二幕目の時間経過が解りやすくなっていたと感じます。
「何が欲しい」と絵に語りかけるロスコに対して「レッド」と答えてしまうケンの姿が、なんというかその発言に至るまでロスコと一緒に過ごしてきたからこその発言というのがより把握しやすいというか。
三幕のアポロン的要素・デュオニソス的要素の話も同じで、哲学の話を嬉々としてするケンはまるでロスコのミームの伝承者でした。目の輝きが幼くてすごく綺麗。席が近かったせいもあるのでしょうが、より爛々としていたように見えました。
ライブペインティングのシーンもより個性が強調されていたし、四幕目のケンの切れ味もより鋭くなっていました。幼さが増した分、残酷さも増したように思います。ブチ切れたケンを受けて、ロスコの身体が傾いでいたのもまた切なかったです。あのシーンだけは、田中さんが小さく見えました。
そうした具合により抑揚がついているので、最後の別れがより静かで切ないものに感じられました。

舞台じゃないところについて。
花は当然のことながら大体かたされていました。これから中日を迎えてまた増えるのかな?彩りが少なくなってて、釣瓶さんととんねるずから来ていたお花についてやっと造花だったのかと気付いた次第です。
演劇をあまり見る方ではないのですが、やっぱりマチネ(マチネという時間でもないですけど……)の方が笑いが起きたりしやすいんですかね。こないだよりも笑いが起こってた気がします。
まあ、初日は観客もピリピリしてるものでしょうしね*1
勝地涼くんが見にいらしてて、私の席は勝地くんのいっこ後ろの列*2だったのですがとてもかっこ良かったです。えれぇカッコ良かったでやんすよ!(声を大)
笑い声の起きたシーン、勝地くんの笑い声がめっちゃ聞こえてきました。それもちょっと面白かったです。

……この舞台、感想を書くのがすごく難しいなあ、と思います。とりわけストーリーについて、私はすごくこの話が好きなんですが、理由付けがしにくいのです。言葉が足りないというのもあると思うのですが。
2人のやり取りはすごく難解な部分もあります。でも扱っているテーマは割りと普遍的なものだと思います。
次見る時までに、その辺ももう少しだけ整理出来るといいなあ。

*1:少なくとも私は緊張してずっとベンチで「吐く~もうダメ~吐く~~」て言ってました

*2:ぱっとみると横顔が視界にドーンしてくるくらいの位置