Burn. -バーン- を読んだ

遅ればせながら、「中の人」千穐楽お疲れ様でした。
結局負傷により大阪にも行けずじまいでしたが、1度でもあの舞台を見ることができて本当に良かったです。
もう一回見たかったなあ……なんていう戯言はさて置き、そんなシゲアキ先生の3作目、渋谷サーガ最終作である「Burn. -バーン-」をようやく読みました。

なんというか、今までのお話の中で一番読みやすかったかなあと思います。
ピンクとグレーの時に感じたクセみたいなのが気になりませんでした。(ピングレはピングレで大好きです)
中の人と同じで、テーマとかストーリーは凡庸なのかもしれないのですが、シゲなりの世界の切り取り方というか、それまでの過程の描き方というか、演出というか……。
シゲの描く渋谷の世界に腕を引っ張って連れて行かれているような、そんな気分になりました。

あと、今回のが一番渋谷感が強いです。笑
実際の渋谷に近いとでも言うのでしょうか、今までの作品が「渋谷と地続きの別の場所」で展開していくのに比べてBurn.は「渋谷で起きたこと」に重きを置いていて(というかそういうストーリーである)、そうなってくると当たり前ですけどどうしたって渋谷を思い起こさせるよなあ、とか。
閃光スクランブルとはまた違った渋谷の感じさせ方なんですが、Burn.の方が渋谷味が濃かったです。

シゲの作品って、「どこにでもいない人たちが、ふとした時に感じる、誰でも感じそうな孤独」っていうのが根っこにあると勝手に思っています。
Burn.についても、レイジが学校じゃハブられてるだとかドラァグクイーン・ホームレスの悲哀だとかそういう点に触れている所がたくさんあって、そういう心の中に溜まった砂みたいなのをざらざらさせるのが好きな人なんだなあとか思いました。*1

これからもしも読む人がいたらという万が一のことを想定してストーリー等々には触れていないのですが、あのシーンの描き方とか、映画好きですよねえこの人。

とここまで書いて、「読み終わるまで読まない」と決めていたFREECELLを引っ張り出してきました。

既に解りきっているというかなんとうか、シゲの作品の根底には彼が見聞きしたものがあって、そこからシゲがお水と肥料を与えて出てきた芽のうちの一つが今回の作品なのかなんてことを思ったり。
表現活動において自分の経験がベースになるって当たり前の事ではあるんですけどやっぱりそうなんだよなぁって裏付けがあるとなんだか安心しますよね。加藤シゲアキというアイドル/小説家を追い続けようと思わせます。もちろん応援するんですけども。

アイドルに共感だなんて一昔前だとそんな大それたことと笑われた感覚なのかもしれませんが、シゲがこういう見せ方をしてくるのであれば「そういうとこが好き!」と言わざるを得ないというかなんというか。

ところで、「中の人」のお仕事が来たのってどのあたりのタイミングなんでしょうか。
演劇界に身を置く主人公を書いていたら自分が舞台の主演に!……ってものすごいドラマティカルだと思うんですけど。
しかもレイジ、最終的に……だし。すっごい、フィクションとリアルが交錯してて面白すぎる……。
きっと坂崎くんの中にもレイジはいたんだろうなあって思うと、Burn.読んでから中の人行けばよかったー! って今ものすごい後悔してます。わーん。

ネタバレ無しで書いたらなんかふわふわしたけどいつもどおり。笑

*1:そういう面を持ったアイドルの加藤シゲアキさんが好きなんです