そして境界に立つ(ハナレイ・ベイを見た)

※原作未読

公開記念舞台挨拶、行ってきました。
夏ぶりにみる玲於ちゃんはスマートになってて、黒髪の似合う男性になっておりました。玲於ちゃんとか言っちゃダメですね、あの子はもう佐野さんなんですから……。

私はBCR出の新規さのれおファンなのでハナレイ・ベイを経たあとの玲於くんしか知りません。これはそんな新規の想像でしかないのですが、ハナレイ・ベイの撮影前/撮影後では顔つきが全然違っていたに違いないでしょう。そんな予感がします。
私が見たのはどの回も上映後舞台挨拶でした。タカシを見たあとで見る生の佐野玲於、印象がまるで違います。タカシはやんちゃボーイで、生で見る佐野玲於は佐野くん! って感じします。なんかとにかく、玲於ちゃん、すごいおとなになった。髪型の印象もあるのかもしれない、けれどもめっちゃおとな! たぶん「おとな〜」って声に出ていた気がします*1

「好きだ」という感情を手放すのは苦しいことですが、そういえば「いやだ」と思うことを手放すのも同じくらい苦しいなあとこの映画を見て改めて気付かされました。「これ苦手だな」と思ってたものにもう一回チャレンジしたらば憎く思ってた時間すら憎くなるやつです。ずっとそういう感情に蓋をして、だからサチはタカシをなくしてすぐタカシの私物を見えなくしてしまう。ストーリーがいいのか演出がいいのか演じ方がいいのか解らないのですが、完全にサチという人間を見た気がします。

ストーリーをあらすじに書きすぎじゃない? とも思ったのですが、そこからのサチの心の深いところの描き方にとても熱が感じられました。サチの、ハナレイとその自然へのわだかまりがどんどん溶けていくこと、溶けることをサチ自身が「いやだ」と思っているのが伝わってきて、「わかる〜」となりました。「私はそれすらも受け入れないといけないの」と言っているシーンのあたりは自分の感情が乗りすぎて見ていてすごくしんどかった。
やっぱり吉田羊は強かった。監督的にはその辺うまく撮れなかったとのことですが、それ含めて画面から得られる情報が多くて、私はこの形が好きです。

タカシも出番はあまり無いもののその少ない出番のなかで、あの虹郎ちゃん*2とセットで超印象を残していたのでなんというか贅沢なものを見ました。
サチに甘えてばっかりのタケシは、なんというか理想の息子という気すらしてきます。あの位親にべったりなのは、こどもしてすごくかわいいと思います。いないから解んないけどなんかそんな気がする。
解釈や正解は人によって違うのが正しいということなので、まとまらないこの文章も正しいということで……。

ところで、私は昔から「大事な人が夢枕に立つ」というシチュエーションが大好きです。
何がきっかけかはもう思い出せないです。モチーフとして、シチュエーションとして、寝るでも意識をなくすでも、その時に見る『夢』がめちゃくちゃ好きです。
夢にまつわる言葉とか、ひるがえって、幻とか、幽霊とかの類のワードも好きだったりします。
怖いことが身の回りに起こって欲しくないのは当然として、あんまり信じてないけど、その存在を信じているふしがあります。
最後のシーン、サチが振り返って見た先にはタカシがいて、そこでようやくふたりは笑いあえるのだと信じてます。
(プログラム読んだらあっそうだったんだ!? となりましたが納得です)

けして優しくはないのですが、現実と過去の幻想の間を行ったり来たりする静かな映画でした。
自然の音や波のしぶきを映画館の没入感のなかで見たほうがいいと思うので、絶対また映画館で見たい!
今年見た邦画のなかで一番好きかもしれない。次は原作読んでから見たいです。

*1:俳優の推し(自分よりそれなりに年上)の立ちふるまい見て「こども〜」って言うタイプです

*2:どうしてもムラジュンさんがドーン! としてくる、存在感がありすぎる