年下を推すということ

白濱亜嵐くんへのアツい思いをしたためておいてなんなんですが、やっぱり同じくらい玲於ちゃんが好きだなあと思った1日でした。
きっかけというのは誰でも大事にしているものだと思います。自分にとってそれが佐野玲於くんなので大事にしていきたい。

……というのを23日前にしたためていたようです。
23日前って何? と思ったのですが、おそらくさのさんのお渡し会に行ったのだと思われます。近くで見る玲於ちゃん、「ちゃん」というよりしっかり「佐野玲於さん」という感じでまさしく「さのさん」なのでした。いやもう本当にかっこよかったです。
その後「銃」のイベントにて虹郎くんのひとりの友人として話す玲於ちゃんもかなり新鮮でやっぱりかっこよかった。玲於ちゃんはかっこいいんですよ。すごい。ただのジャニオタだった私をずいぶん遠くまで連れてくる*1くらいめちゃくちゃかっこいいんだなと改めて思わされた11月末でした。

玲於ちゃんはすごい。

普段玲於ちゃんに対して「かわいい」が勝ちがちなのは、ひとえに玲於ちゃんが私よりずいぶん年下だからとしか言いようがなく、虚しい想像ですが、同い年だったら私は玲於ちゃんを玲於ちゃんなんて呼べないと思います。多分佐野くんか玲於くんか玲於さまって呼んでる。それくらいかっこよくて、ですね。

ジェネを推して1年過ぎたんですが(もうそんなに経ったんですよ)、同世代の友人たちにジェネやらんぺちゃんのことをウキウキしながら話すとまず開口一番「年下はちょっと……」って言われます。クソ主語一纏めにして本当に申し訳ないのですが、どうしてだかやっぱり年上の男性というものにどうしたって憧れがあって、おんなじ感じで三代目もセカンドもドーベルも好きなつもりでいるんですがそれにしても佐野玲於・白濱亜嵐がそんなこと一瞬で忘れさせてくれるくらいかっこいい。かわいいし。
好きに年齢なんか関係ねえよ〜! 好きになったらそれでいいじゃん〜! 最高になろうぜ〜! と人の肩を抱いてとんだYEAHをぶちかましたいところなんですけど、でも年上か年下かってそれよりももっと根深い問題なような気もして、単に自分が年食ったからどうでもよくなってるような気もするし、難しいですね。

でも「年下か〜! ン〜!」って思ってるくらいなら推したほうがめっちゃ楽しいんですよね。考えるな推せ、のレベルで楽しい。気軽にボーダー飛び越えてえ……そこに超YEAHが待ってる……。

かといってジャニーズでまともに騒げる年下はあんまりいないし、年齢問題根深えな〜〜〜〜〜〜〜〜
オチは特にありません。佐野玲於くんと白濱亜嵐くんがめちゃくちゃに好きです。

*1:これは年末に書きますけど本当にかなり遠い所まで来た感じがしています

確信2018

lovebambi.hateblo.jp
今となってはめちゃくちゃおもしろいのですが、このエントリを書いた時はまだ生の白濱亜嵐くんを見る前でした。
自分で読み返して嘘!? ってなります。見る前にこんなに入れ込むのめちゃくちゃLooking for ヤバい。
DAH・UJ初日・東京全日・本体日曜(きょう)と見てきましたが、実のところ「いや私は○○の方が好きかもしれない」「実際見たら揺らいじゃって○○しか見ない」「ダークホースで○○」「いや○○だな」とか言ってて個人的にはLDHでの推しが明示されてしまうの怖かったんです。なんでかよくわからんけど。
が、今日本体行ってみて、面白いくらいに白濱亜嵐くんしか見てない自分がおりました。もう最初からずーっと白濱亜嵐。最後まで白濱亜嵐。見間違いゼロで白濱亜嵐。
清々しいまでの白濱担……いや白濱famぶりを自分で自分に見せつけてしまったので、明日からは胸張って白濱famですって言おうと思います。
好きだな〜って思うところ、正直全部なのですが、本編終わりの時に降りてくるアレ(あれ)を掻い潜るように跪くのに顔は出さずに手だけでバイバイしてたところです。あとラバアゲでの後ろ姿とかとか、書ききれないし全部好きだから全部ですね。
はー白濱亜嵐くんに幸せになってほしい。生きてる間幸せゲージずっと右肩上がりでいてほしい。
本体たのしかった!

5年前って担当決める時ってブログ書くならわしだったと思うので書いた。
あと袖がないところが「推し」って感じします。袖がない男性を推して生きてきました。今後も袖がない男性に「袖がない」って思って生きていこうと思います。

そして境界に立つ(ハナレイ・ベイを見た)

※原作未読

公開記念舞台挨拶、行ってきました。
夏ぶりにみる玲於ちゃんはスマートになってて、黒髪の似合う男性になっておりました。玲於ちゃんとか言っちゃダメですね、あの子はもう佐野さんなんですから……。

私はBCR出の新規さのれおファンなのでハナレイ・ベイを経たあとの玲於くんしか知りません。これはそんな新規の想像でしかないのですが、ハナレイ・ベイの撮影前/撮影後では顔つきが全然違っていたに違いないでしょう。そんな予感がします。
私が見たのはどの回も上映後舞台挨拶でした。タカシを見たあとで見る生の佐野玲於、印象がまるで違います。タカシはやんちゃボーイで、生で見る佐野玲於は佐野くん! って感じします。なんかとにかく、玲於ちゃん、すごいおとなになった。髪型の印象もあるのかもしれない、けれどもめっちゃおとな! たぶん「おとな〜」って声に出ていた気がします*1

「好きだ」という感情を手放すのは苦しいことですが、そういえば「いやだ」と思うことを手放すのも同じくらい苦しいなあとこの映画を見て改めて気付かされました。「これ苦手だな」と思ってたものにもう一回チャレンジしたらば憎く思ってた時間すら憎くなるやつです。ずっとそういう感情に蓋をして、だからサチはタカシをなくしてすぐタカシの私物を見えなくしてしまう。ストーリーがいいのか演出がいいのか演じ方がいいのか解らないのですが、完全にサチという人間を見た気がします。

ストーリーをあらすじに書きすぎじゃない? とも思ったのですが、そこからのサチの心の深いところの描き方にとても熱が感じられました。サチの、ハナレイとその自然へのわだかまりがどんどん溶けていくこと、溶けることをサチ自身が「いやだ」と思っているのが伝わってきて、「わかる〜」となりました。「私はそれすらも受け入れないといけないの」と言っているシーンのあたりは自分の感情が乗りすぎて見ていてすごくしんどかった。
やっぱり吉田羊は強かった。監督的にはその辺うまく撮れなかったとのことですが、それ含めて画面から得られる情報が多くて、私はこの形が好きです。

タカシも出番はあまり無いもののその少ない出番のなかで、あの虹郎ちゃん*2とセットで超印象を残していたのでなんというか贅沢なものを見ました。
サチに甘えてばっかりのタケシは、なんというか理想の息子という気すらしてきます。あの位親にべったりなのは、こどもしてすごくかわいいと思います。いないから解んないけどなんかそんな気がする。
解釈や正解は人によって違うのが正しいということなので、まとまらないこの文章も正しいということで……。

ところで、私は昔から「大事な人が夢枕に立つ」というシチュエーションが大好きです。
何がきっかけかはもう思い出せないです。モチーフとして、シチュエーションとして、寝るでも意識をなくすでも、その時に見る『夢』がめちゃくちゃ好きです。
夢にまつわる言葉とか、ひるがえって、幻とか、幽霊とかの類のワードも好きだったりします。
怖いことが身の回りに起こって欲しくないのは当然として、あんまり信じてないけど、その存在を信じているふしがあります。
最後のシーン、サチが振り返って見た先にはタカシがいて、そこでようやくふたりは笑いあえるのだと信じてます。
(プログラム読んだらあっそうだったんだ!? となりましたが納得です)

けして優しくはないのですが、現実と過去の幻想の間を行ったり来たりする静かな映画でした。
自然の音や波のしぶきを映画館の没入感のなかで見たほうがいいと思うので、絶対また映画館で見たい!
今年見た邦画のなかで一番好きかもしれない。次は原作読んでから見たいです。

*1:俳優の推し(自分よりそれなりに年上)の立ちふるまい見て「こども〜」って言うタイプです

*2:どうしてもムラジュンさんがドーン! としてくる、存在感がありすぎる